第78回 【水瓶座地区】 新井薬師・北野神社・哲学堂。
東京地方は、おとといに引き続き、きのうはとても暖かくて春らしいお天気でした。
東京星図めぐり水瓶座地区の、新しい場所の開拓のため、初めて、新井薬師と北野神社と哲学堂に行ってきました。
高田馬場駅から西武新宿線に乗って、新井薬師前駅へ。そこから歩いて、新井薬師に行きました。
新井薬師はどのようなお寺か、公式HPには、次のように書かれています。
梅照院(ばいしょういん/新井薬師)のご本尊は、薬師如来と如意輪観音の ニ仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)の御尊像です。 この御本尊は弘法大師御作と言われており、鎌倉時代の代表的な武将、 新田家代々の守護仏でした。 しかし、鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに、ある日の夕方、 御尊像を納めたお城の仏間から忽然と光が放たれ、それとともに御尊像は 消え失せてしまいました。
その後、相模国(神奈川県)から行春(ぎょうしゅん)という沙門(僧)が、 新井の里を訪れて草庵を結びました。清水の湧きいずるこの地こそ、 真言密教の行にふさわしい土地と感じてのことですが、不思議なことに、 草庵の庭の梅の古木から光が出るという現象が夜毎に起こり、 天正14年(1586年)3月21日、その梅の木の穴から新田家ゆかりのご尊像が発見されました。 この御尊像を安置するために、行春が新たにお堂を建立したのが、 梅照院の始まりです。
不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、その後、広く、深く信仰されました。特に、二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った 悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ、 あるいは第五世玄鏡が元和3年(1617年)に如来の啓示によって、 秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれて、 今日まで大変多くの方に、篤く信仰されております。
新井薬師は、おそらく水瓶座05度くらいに位置していると思われます。
お寺の中も、どことなく、さばさばした感じや、風通しの良い感じに、あふれていました。
本堂横の、渡り廊下をくぐると、その向こうは公園になっています。
公園は、中野通りにさえぎられて、二つに分かれています。
歩道橋を渡って、その向こうに行くと、池があります。
池では、何人かのおじさんたちが、釣りをしていました。
公共の池で、釣りをしてもOKな場所があるのは、とても驚きです。
星図めぐりで、いろいろな公園には行っていますが、おじさんたちが堂々と釣りをしている池は、わたしは、初めて見ました。
何かいるのかな?と、濁った水の中をのぞいてみましたが、魚らしきものが泳いでいるようすは、見受けられませんでした。
このあたりの地図です。
どういう理由でかは、まだわからないのですが、このあたりは五差路や六差路みたいになっている場所が、何か所かあります。
このあと、北野神社へ。
梅が咲いていて、良い香りでした。
撫で丑です。
力石。
北野神社のこま犬。
本殿のほうから、入口鳥居を見ると、こんな感じです。
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新井薬師・北野神社から、哲学堂公園までは、中野通りの道を、歩いて行きます。
中野通りは、ずっと、桜並木。
お花見のシーズンのお散歩は、おすすめです。
小学校の近くには、こんなかわいい手造りポスターも、貼られていました。。
中野通りには、フェレットの専門店とかもありました。
そのほかにも、なかなかユニークな意外なものの発見も多く、この道のお散歩は、楽しいです。
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哲学堂公園につきました。
哲学堂公園は、想像以上に広かったので、これも驚きでした。
梅園もありました。
世界の聖人の彫刻が、何体もあったのですが、これがまた、どこか水瓶座的で楽しかったです。
全部写真に撮ってきました。
誰を彫刻にしたものか、おわかりになりますか?
哲学堂にあった世界の聖人の彫刻の続きからです。
哲学堂公園の由来や歴史について、HPより引用させていただきました。
哲学堂公園は、明治37年に哲学者で東洋大学の創立者、故・井上円了博士によって精神修養の場として創設された、哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された全国に例を見ない個性的な公園です。
昭和50年に中野区立公園となってからも、古建築物の修復、整備を重ね、また中野区内でも有数の花の名所として親しまれる公園となっています。広大な敷地内には野球場・庭球場・弓道場もあります。
昔、哲学堂公園の地は、源頼朝の重臣である和田義盛の城址でありました。
哲学者であり、東洋大学の創設者でもある故・井上円了博士が、明治37年小石川原町(文京区白山)に開設された哲学館大学(現・東洋大学)を記念して「四聖堂」を建設しました。
「四聖堂」は、孔子・釈迦・カント・ソクラテスを祀り、「哲学堂」とも称しました。これが哲学堂の名前の起こりです。
井上円了という人は、ゴースト・バスターとして有名ですが、敷地内には、「幽霊が出る梅ノ木」というのがありました。
くわしい由来は残念ながらわからないのですが、井上円了がもと住んでいたところに生えていた、幽霊が出るという噂の梅ノ木を、ここに移植した、と、立札に書かれていました。
それが、こちらの梅の木です。
じっさいに、目の前でこの梅の木を見ると、この世のものとも思われない、引き込まれるような美しさでした。
はかなさも、ただよわせています。
形ある世界(この世)と形無い世界(あの世)の、ちょうど境界線にたたずんでいるような、そんな危なさも感じました。
でも、立札をよく見ると、(跡)と書いてあるので、本物はこの梅の樹ではなかったのかも知れませんね。でも、今在るのも、とても美しい梅でしたよ。
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哲学堂公園の中にある、看板に書かれている言葉が、哲学的で難しくて、特徴的だったので、何枚か写真に収めてきました。
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なお、哲学堂公園の度数ですが、広大なので、一つの度数には納まりきらないと思います。