第62回 東京星図めぐり 蠍座地区レポート。

きのう11月4日は、第62回東京星図めぐりで、蠍座地区の日でした。


谷中・根津・千駄木

まず最初に、JR日暮里駅でお待ち合わせをしました。


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ひさしぶりに訪れた、日暮里駅の北口改札のあたりは、改装されて、ずいぶんと開放的な感じになっていました。

駅を出るとすぐに、次のような風情になっていて、「谷根千」と呼ばれる「谷中・根津・千駄木」の独特の雰囲気が、いきなりスタートする感じです。


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近くには、ほんとうにたくさんの、お寺やお墓があります。


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気持ちの良いお寺を見つけ、なかにお参りさせていただき、しばらく日だまりでパワーチャージしました。


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それにしても、どうして谷中のあたりには、このようにたくさんのお寺が集まっているのでしょうか?

その答えとして、『運命を導く 東京星図』には、「1657年の振袖大火の後、江戸周辺にあったお寺が、被害を受けなかったこの地域にどんどん移ってきたことが理由のようです。」と書かれています。

みなさんはこの、振袖火事のおはなしは、ご存知でしょうか?これはなかなか「深い心霊の世界」や「消滅と再生」に関係する蠍座的なお話しだと思うので、次に、『伝説探訪 東京妖怪地図』の本の記述を参考に、まとめて書いてみます。


振袖火事のおはなし

浅草諏訪町の商人に、おきくという娘がおりました。おきくは、紫縮緬の振袖がとりわけお気に入りで、大切な外出がある時には決まって着て出かけて行きました。

大火の三年前の春、おきくは母親と手代と女中の四人で、上野の山へ花見に出かけます。この時ももちろん、この振袖を着ていました。

夕方、浅草の観音さまに寄って変えることにしたところ、その浅草の道へ出る途中、おきくと同じ紫縮緬の着物を着た、色白の凛々しい美少年の御小姓とすれ違い、おきくはその姿を見るやいなや、胸の奥が熱く灼け、目の前が暗くなってわれを失ってしまいます。

おきくの脳裏には、先にすれ違った御小姓の姿が、顔形はもちろん衣装の細部にいたるまで、焼き付いて離れなくなってしまいました。

翌日から、おきくは寝ついたきりになって衰弱して行きます。家の者たちは、これはどうも恋煩いらしいと気がつき、手を尽くして御小姓をさがし出そうとしますが、残念ながら見つけだすことはできませんでした。

そして、とうとう、翌年の一六五五年の正月十六日、おきくは十七歳になったばかりの短い生涯を終えました。両親は涙にくれながら、棺にあのお気に入りの振袖をかけてやり、本郷丸山の本妙時へと送りました。

それから一年が経ち娘の一周忌に夫婦が本妙寺に行くと、たまたま他家のお葬式があって、訊けばおきくと同じ年頃の娘とのこと。

我が子の不憫さに思い合わせ、線香をあげさせてもらうと、その棺の上に、娘とそっくり同じ紫縮緬の振袖がかけられていましたが、両親は驚きながらもその日は、何も言わずに帰りました。

そのお葬式は、本郷元街に住む商人の、お花という娘のもので、去年の春古着屋で紫縮緬の振袖を買ってもらって間もなく病気になり、一六五六年のおきくとおなじ正月十六日に、やはり十七歳の生涯をとじたとのこと。

翌年、一六五七年正月十六日、おきく三回忌、おはな一周忌にあたるので、両家は本妙寺で再開します。話すうちに、双方の娘の死のいきさつがあまりにもよく似ているのに驚き、また悲しみを新たにします。

その日も寺では葬式があり、これがまた十七歳の娘。両家が焼香させてもらおうと本堂に行くと、またもや棺にあの紫縮緬の振袖がかけてある。驚いて尋ねると、これまたそっくりおんなじ事情。むすめは、中橋の質屋の子、おたつ。

昨年の四月に、自分の家の質流れの振袖を見て欲しくなり、自分のものにしてしまったが、それから間もなく病気になり、やはり正月十六日に亡くなったという。

実は、振袖は、二度とも焼かれずに、寺が秘かに、売っていたとのこと。

それで三家は、それぞれの娘の相似た運命に驚き、また薄気味悪くも怖くもなったので、三家合同で施餓鬼をを行い、因縁の振袖を焼くことにしました。

それが、一六五七年正月十八日。

寺の境内で三十余名の僧が法華経を唱える中、紫縮緬の振袖が、燃えながら風に舞いあがり、本堂の箱旨にひをつけ、ついには江戸市中を業火に包む大火を引き起こしたのです。

なるほど、すごいおはなしですね。

この大火によって、江戸の町は焦土と化し、街の三分の二が灰になり、亡くなられた方は、十万七千四十六人と伝えられているそうです。江戸城天守閣もこの火事で焼け落ちて、以来再建はされなかったとのこと。

ですが、、『伝説探訪 東京妖怪地図』では、「この火事は江戸を滅ぼしたが、この焼け跡から大江戸が生まれることになる。」と締めくくっています。

この火事のあと、江戸の城下では、防火のためのシステムが大幅に改正され、市街地の整備が行われたとのこと。

この都市の大改造がなかったら、江戸はこのあとの、商業の発展に伴う流入人口の増加に対応できなかったであろう、とのことです。「いわゆる『大江戸八百八町』の賑わいは、呪われた振袖の業火がもたらしたものだったのである。」と書かれています。

それにしても、江戸の人たちは、現代の私たちからは想像がつかないくらい、不思議な心霊の世界とともに生きていたのだなぁと、このようなおはなしからも教えてもらったりもしますね。

さて、江戸のおはなしの世界はこのくらいで終わりにしまして、現代の東京に戻ります。


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上の写真は、日暮里駅から谷中銀座に向かう途中。


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上の写真は、同じあたりにある「夕やけだんだん」と呼ばれているらしい階段。


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生花のお花屋さんで、一緒に、造花を売っていたり。


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上の写真のような、ほんとうに昔からあるお店が並ぶ中に、最近のレトロ好きの若い人が出しているレトロな商品をあつかったお店が混じっていて、ほんとうに不思議なワンダーランドです。


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たしか、不動産屋さんだったと思いますが、ショーウインドウのなかには、何故か蝶の標本があったり。

(ちなみに、写真に写っていますのは、もちろん心霊写真ではありませんで、ショーウインドウのガラスに移った、写真を撮る私の姿ですので、どうぞご安心ください。)

このJR日暮里駅から、谷中・根津・千駄木の周辺は、蠍座の11度から20度のあたり。11度から15度の「第3グループは、どのサインでも、実験性の色合いが強く出てきます。」『決定版サビア占星術』という感じは、谷中銀座あたりのお店の雰囲気に、良く出ているかも知れません。

蠍座の特質の中で、いろいろと何か実際に、試してみている感じが、あるように思いました。



閑話休題】振袖火事を読み解く。


こちらのブログにきのう書きました、振袖火事のお話ですが。

こういうおはなしは、どこか背筋がぞぞぞとなりまして、何か、えもいえぬ感じで、蠍座的な深いところが刺激されますよね。

そして、このような怪談とかは、そういう、「どこか背筋がぞぞぞとなりまして、何か、えもいえぬ感じで、蠍座的な深いところが刺激される」、それゆえに、ひそひその内緒話として、人から人に伝播して行く強いを持ってもいますね。

それで、だけど、現代人のわたしが、現代人特有の、素直では無い、物事を頭で考えて解釈する視点で、読み解いてみるとしたら、この振袖火事のおはなしがどのようになるか、ということに、自分自身、とても関心があります。

なので、それを、次に書いてみたいと思います。



まずこのお話を聞いて、共通しているのが、娘が死んだ親というのが、全員、「商人」であることに気がつきます。

江戸時代は、「士農工商」という身分制度があったと言われていますが、どうして「商」が一番下におとしめられていたかというと、支配者である「士」さえもコントロールがし難いくらい、実は「商」は豊かな財力を持っていたのだそうです。

その豊富な財の力につり合いを持たせるために、「商」は、身分的に貶められて、最下位になっていたとのことを、何かで知った記憶があります。



この、振袖火事のお話は、支配者である「徳川」が、意識的に流したお話しだとしたら、すばらしい政治手腕を持っていたといえますね。

この手法は、現代でいうところの、シビリアン・コントロール文民統制)の一環だったと、言うことができるのではないでしょうか。

なにしろ、怪談という形で、商人の娘が、華美に走った(縮緬の振袖)ことが、不幸の始まりという内容のお話しが、三回も繰り返されるのですから。否が応でも、おはなしは、頭や心の中に、インプットされてしまいます。



また、そうではなくて、民衆の中から自発的にわき出したお話しであるのだとしたら、経済主義に傾くことを、おのずから自制するよう、誘導する内容を含んだお話しとして、考えることが可能です。

つまり、江戸のおおかたの民衆は、経済主義に傾き過ぎることを、良しとしない精神の持ち主だったと、考えることが可能です。



民衆の精神を、管理する側がコントロールしたのか、民衆の精神の自発的な表れなのか。ひょっとしたら、そのふたつが合致したところに、成立したからこそ、このお話しがえんえんと現代にまで語り継がれる「力」をもった所以が、あるのかも知れませんね。

『伝説探訪 東京妖怪地図』には、この火災後の幕府の方針として「華美をいましめ」「実質を重んじる」方向性が示されたことが、書かれています。このことも、このお話しの分析を、後押ししてくれると思われます。



いずれにしましても、伝説は、100%理知的に分析しようとして、すべて明晰な光りのもとにさらして、排除すると、人の何かは干からびて行き、カラカラになってしまいます。

また逆に、伝説などのお話しに、丸のみにされると、わたしたち近代人や現代人のような、環境から独立した生き方はできなくなります。

このあたりの、両方のたずなの引き具合は、とてもおもしろいあたりだなぁと、最近、感じていたりもします。



11月4日(日)に行った、東京星図めぐり蠍座地区の、谷中・根津・千駄木の続きです。


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こちらが、今回お昼を食べた、お蕎麦屋さん。二階がお店になっていました。とても気の良い店でした。一般的な街のお蕎麦屋さんらしいメニューとかの内容ですが、天婦羅そばに乗っていたエビもぷりぷりで大きくて、おいしかったです。



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近くには、こんな老舗のお煎餅屋さんもありました。



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このあたりの街路樹は、なんと柳の木です。柳の樹が街路樹のところって、めずらしいのではないかと思います。柳の木の風情は、「蠍座」には、ぴったりの感じがしました。




根津神社

このあと、根津神社に行きました。次は、根津神社の入り口です。

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とても高い樹が、茂っています。

根津神社の場所は、6代将軍家宣が生まれた地。根津神社はその産土神となり、1706年に、綱吉によって、現在地に社殿が造営されたとのこと。


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こちらは、御手水の写真です。



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正殿に入る門の装飾も、このようなかんじです。権現造りというのだそうです。ちょっと日光の東照宮を思い出すような建物です。



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神社本殿には、このような装飾も施されています。こちらの神社は、重要文化財に指定されているのだそうです。



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狛犬も、このように、筋骨隆々としていて、全体的に「武士」や「武」な感じが、ただよっています。



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境内のなかには、歴史を感じさせる、苔が生えていました。



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境内の中に、たくさん鳥居が並んだお稲荷さんもあります。そのお稲荷さんのそって、池の水の流れができていて、亀がゆうゆうのんびりと、泳いでいました。



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神社正面には、このような山門があり、弓矢を携えた武士の像が左右に一体ずつ、納められています。



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根津神社全体では、このような感じです。境内には3千株あまりのつつじが植えられています。初夏にはさまざまな色が咲き誇り、とてもきれいとのことです。



【弥生】

きのうアップした根津神社から、本郷にある東京大学の手前まで一帯は、「弥生」という地名がついています。


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その一帯には、こんな感じのお店が、いろいろあったりもします。少し奥まった路地に、古くから続く何かにこだわりを持って、それを極めようとしているような、そんな感じの小さなお店が、いろいろあります。



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このお店も、そんな一軒。讃岐うどんの店のようでした。10人くらいの人が、順番待ちをして並んでいました。人気店です。



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根津教会。気に入った路地をどんどん入ってゆくと、蠍座地区は、ほんとうに底無しの深さがある感じです。どんどん、どんどん、どこまでも奥があります。

参加者の方が、(その方は去年の蠍座地区にもご参加くださった方なのですが)、ひそひそと小声で話しかけてくださって、「やはり、蠍座地区では、なぜかひそひそ声になりますね。去年の湯島のあたりもそうでしたね。」とおっしゃっておられましたが、たしかに、たしかに。



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迷路のような路地の先には、突然こんな階段が出てきたり。

このあたり一帯は文京区ですが、文京区は東半分が蠍座地区、西半分が射手座地区という感じです。文京区は、蠍座地区・射手座地区ともに、とても坂が多い場所です。

この写真の階段はたぶん「お化け階段」と呼ばれている場所だと思うのですが、他にも「異人坂」「暗闇坂」など、このあたりにも、たくさんの坂があります。



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遠くに不思議な構造の建物が見えて、これは東大(たしか工学部)の校舎であることが、後からわかりました。

この東大工学部の校舎の近くには、弥生という町名とも関係した、弥生式土器発掘の地碑が、立っています。



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そこから、本郷通り(国道17号線)に抜けるまでの道は、両脇が東京大学になり、実際に歩いてみると、かなり独特の雰囲気です。独特の雰囲気というのは、何か圧力が強すぎて、息苦しいような、そんな感じ。

良く蠍座というサインは、「圧力鍋」にたとえられますが、ちょうどそんな感じの、エネルギーです。



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上の写真は、本郷通り沿いの東京大学の煉瓦の塀です。こんな塀が、えんえんと続きます。





【本郷の東京大学

東京大学構内を、お散歩してみました。

東京大学構内をお散歩してみたい人には、東京大学公認「東京大学キャンパスツアー」というものもあるようです。

こちらの参加申し込みしたかったのですが、この日のツアーにはお申込できなくて、「少数人数での見学は、認可は必要ありません。」と書かれていたので、「それでは」と見学させていただくことにしました。

わたしはもちろん、東京大学の構内におじゃましたのは、はじめてです。



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東大正門からの構内のながめ。
東大正門は、数え度数で、蠍座21度(『運命を導く 東京星図』より)。
ずっと先の安田講堂まで、イチョウ並木が続きます。



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両脇に立つ、煉瓦造りの建物。とても重厚で、歴史が感じられます。



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建物のなかには、通り道が十字に横切っていて、まるでそれは、外国のモスクのようです。



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これが有名な、安田講堂。この安田講堂の地下は、手前の広場の下から「学生食堂」になっているとのこと。かなかな不思議空間な感じがしました。こんどぜひ、一度入ってみたいです。



こちらが、今回の一番の大目玉。三四郎池への、入り口です。三四郎池は、すり鉢状になった、大きな窪地の中にあります。

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あまりにも、濃厚な深さがあたり一面に満ちていて、わたしたちはあまり長い時間は、そこに居続けることは、できなかったくらいです。

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蠍座の池って、どんな感じですか?」と質問されることがあるとしたら、「ぜひ、東大の三四郎池に、行って体感してみてください。」と、答えたいくらい、蠍座らしさが濃厚に圧縮された感じでした。

家に帰ってから、あの感じだったら、都市伝説のひとつやふたつ、あっても不思議はない、と思い、ネットで調べてみたのですが、思いの外、それが無いことにも、またもやびっくり。

東大の敷地の中ではなくて、一般の場所にあったなら、深〜い都市伝説が生まれていたと思うのですが。

やっと見つけたサイトが、こちらです。
http://gnosis.blog64.fc2.com/blog-entry-5707.html

こちらに投稿されたお話しのあとの、コメントの数々が、どことなく楽しくて、笑えます。

他にも、東大のなかには、五重塔のてっぺんの飾りのようなものを、中央に設置した、これまた何となく深〜い池もありました。

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有名な、赤門です。

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医学部のあたりは、塀がいくつかの鍵の手になっています。
夕日の残りがあたった塀と、写真を撮る私の影の写真です。

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東大医学部から、無縁坂という坂を下りて、旧岩崎邸の横を通り、不忍池へ。

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蠍座地区は、とってもワンダーランドで、おもしろいです。



【追記です。】

そういえば、東大構内では、『東大古生物学130年の軌跡』展を、拝見させていただきました。

貴重なアンモナイトの化石などが、多数陳列されていました。研究者の方々の、地道な熱意が伝わってくるような展覧会でしたが、ただし、人骨が苦手な方は、ちょっと無理かと思います。

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☆東京星図めぐりでは、次回12月9日(日)の射手座地区の参加者を募集中です。くわしい募集案内につきましては、どうぞ《こちら》をごらんください。