第61回 東京星図めぐり 天秤座地区 レポート。
10月7日(日)、第61回東京星図めぐりで、天秤座地区に行きました。
【浅草寺】
まず最初に、浅草寺の雷門のところで、お待ち合わせをしました。
『運命を導く 東京星図』には、雷門を「願望実現ポイントとして活用してもいいのではないでしょうか。」として、次のように書かれています。
「浅草雷門は、いまでもたくさんの旅行者がたくさん訪れていますが、ここは天秤座の5度から6度の場所。サビアンシンボルでは「理想が多くの結晶に変わる」というものです。」
「雷門の由来を調べてみると、この天秤座5度ぴったりの意味が伝えられています。そもそも雷門は942年に平公雅が「心願成就の宝賽」として建立したようです。(中略)なにか実現したい夢がある人は、雷門近辺を、補強場所として活用すると良いでしょう。」
この日も、浅草寺はたくさんの人でにぎわっていて、何年か前に星図めぐりできた時よりも、もっと混雑しているように思えました。
どのくらい混雑しているかというと、波はあるのですが、混んでいるところはラッシュの山手線くらい。
大型の観光バスが、たくさんとまっていていて、そこからたくさんの観光客の人たちが、やって来ます。
浅草寺は、震災に備えて、お寺の屋根瓦を、すべてチタン製のものに取り換えたと、少し前にテレビでやっていました。
今までのような焼き物の瓦では、大屋根が重すぎて、地震の大きな揺れには、耐えられないのだそうです。
自然な焼きむらのある瓦の風合いに近づけるため、チタンの瓦も、微妙に色の違うものを使っているそうです。
このあたりに詳しい方のご案内で、浅草寺のパワースポットを堪能することができたのですが、それは、よほど浅草寺に通のかたでないと、みなさんご存じないと思われました。もちろん私も、今まで知りませんでした。
浅草寺の縁起は、飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日に遡るそうなので、とても古いですね。都内最古の寺院だそうです。
年間約3000万人もの参詣者がおとずれるのだそうです。
また、浅草寺ご本尊は、観世音菩薩さまで、観音さまは、多くの仏さまの中でも最も慈悲深い仏さまで、人々の苦しみを見てはその苦しみを除き、願いを聞いては楽しみを与えてくださるのだそうです。
次の写真は、浅草寺の御手水です。中央の像は、高村光雲作、とのこと。
浅草寺 貫首 清水谷孝尚は、とてもすばらしい方とのこと。参加者の方が、お話しされていました。著書も出されているようです。
【浅草神社】
浅草寺の隣には、浅草三社祭で有名な浅草神社があります。こちらの神社と浅草寺は明治時代の神仏分離で別のものとなりましたが、それまではひとつのものだったそうです。
写真は、浅草神社のこまいぬです。
【浅草ランチ】
ランチはどこに行こうか?ということになって、最初浅草で有名なてんぷらの大黒屋さんに行こうか、ということになったのですが、行ってみたら、お昼時ということもあって、ものすごい大行列ができていました。
それで歩いていて見つけたのが、昭和レトロの洋食屋 レストラン ベル。
このお店は、HPを見てもわかるように、ブロマイドの会社がやっているみたいで、あちこちに往年の大スターたちのブロマイドが貼られていました。
メニューを見ると、全部のメニューに、ちょっと笑えるキャッチコピーがついていて、どこかしらひょうきんな雰囲気にあふれています。
スカイツリー定食みたいのもあって、何かなと思ったら、コップに入ったオムライスに、海老フライがしっぽを上にして突き刺さっていて、それにイカリングのフライが、はまっていました。
ハンパーク定食。コーンやブロッコリーがどうしてこのような配置になるのか?参加者の方たちは、きっとハンバーグを雷門の大提灯に見立てているんじゃない?と、推測していました。
フライ定食。
ミートソース。
ナポリタン。
伝票の裏側には、松田聖子ちゃんのブロマイドが貼ってありました。
それにしても、浅草のお店は、一軒一軒がとても個性豊かで、古着屋さんの隣には、蒲焼屋さんがあり、そのまた隣には、レコード屋さんがあり、というふうな感じです。
これは、同じような小さな店が軒を連ねている蟹座地区とは、みごとに対照的で、蟹座地区のほうは、築地の場外卸売市場は、ほとんどが海鮮丼やお寿司のお店、月島は、みんなもんじゃ屋さんです。
ここには、天秤座という他者の個性と出会うサインの特質が、みごとに出ていますね。
【待乳山聖天】
このあと歩いて、浅草寺の別院、待乳山聖天(まつちやましょうてん)へ行きました。
待乳山聖天は本龍院ともいい、ご本尊は、十一面観音菩薩とのことです。
浴油祈祷というのも、やっているそうです。
二股大根と巾着が、シンボルとのことです。
写真は、この待乳山聖天の庭園の池のあたりを撮ったものです。
待乳山聖天には、江戸時代からの古い塀があって、それも有名なのだそうです。
おおよそ天秤座地区には、土地の起伏がほとんどなく、平たんな土地がえんえんと広がる感じなのですが、この待乳山聖天には土地のアップダウンがあります。
庭園の池のお水は、きれいに透き通っていて、とても深い趣を、たたえていました。
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先日の星図めぐりでは、順番は、待乳山聖天に行ったあとに、今戸神社に行き、そのあと三囲神社に、というルートで移動しました。
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【今戸神社】
今戸神社は御祭神は、應神天皇(おうじんてんのう)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)・福禄寿(ふくろくじゅ)とのこと。
東京星図的には、おおよそ天秤座の10度前後に位置する神社と思われます。
神社の雰囲気は、あっけらかんとして、樹木も少ない感じでした。ディズニーのミッキー・ミニーのベンチが、たくさん並んで置いてあって、かわいかったです。
新撰組の沖田総司の終焉の地としても、有名とのことですが、最近では「縁結びの神社」として、ブレイクしているとのことでした。
神社の積み重なった地層の一番上に、「縁結び」という色彩にたとえたら「ピンク色」のはなやいだ地層が、色濃く出ている感じでしょうか。
今戸神社の公式HPを良く見て行くと、そのユニークさに触れることができるのではと、思います。
「無断掲載禁止」となっていたので、わたしのブログにはリンクを張っていませんので、興味のある方はぜひ、検索して、見てみてくださいね。
HPのなかの「ブログ」の項目をクリックすると、宮司夫人の「縁結び神社発 奥様日記」と、ふたりのお嬢さんのブログが出てきます。
星図めぐりの参加者の方から頂いたメールを読みまして、わたしも今朝がた、あらためてこちらのブログを見てみたところです。
(実は当日、こうして参加者の人がメールくださるくらい、インパクトのあった、占い師もびっくりのプチ体験がありました。おもしろいですよね。)
宮司夫人は、『今戸神社 恋の縁結び』という著書のほかもう一冊の、二冊の本や出版されているそうです。CDも出しているのかな。
そして、縁結び会を開催していたりも、するようです。
今戸神社の絵馬は、円形。縁結びの「縁」と、丸い形の「円」が、掛け合わされているとのことです。
境内には、たくさんの絵馬が、飾られていました。
宮司夫人にはお二人のお嬢さんが居られるようで、そのおひとりは、似顔絵を描かれるイラストレーターとのことです。
そんな宮司夫人と、ふたりの年若いお嬢さんの、女性ならではの雰囲気が、ぴちぴちとしていて、神社にあふれていました。
そういった意味では、天秤座らしい豊かな個性があふれる神社と、言えるのかもしれませんね。
【三囲神社】
さあ、今日ははいよいよ、三囲神社のレポートです。
思い起こすと、今回の星図めぐりは、8月の獅子座地区の時から、何かに導かれるような、少し不思議な流れが続きまして、10月の天秤座地区の、この三囲神社へと至りました。
その流れを振り返りますと
8月獅子座地区の時、参加者のひとりの方が、三井本館のビルのお話をされる。それがとても心に残り、後で調べたら、翌月の乙女座地区のあることがわかり、ルートに組み入れる。
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9月乙女座地区の時、参加された方のおひとりが、(この時点ではご本人は関係性を明確には知らなかったのだけど)、三囲神社の地元のかたで、三越・三井との関係を知って、驚かれる。
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10月天秤座地区で、三囲神社に行く。という、こういった流れでした。
三囲神社の御祭神は、宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)。
東京星図的には、天秤座3度か4度あたりに位置する神社だと、思われます。
ちなみに、天秤座4度だとすると、サビアンシンボルは「キャンプファイアーを囲むグループ」。日本語に訳した時に「囲」という文字が使われていますね。これもちょっと不思議ですね。
三囲神社という名前には、もちろん「三」という数字が使われていますしね。天秤座3度だとすると、サビアンシンボルは「新しい日の夜明け、すべてが変わった」です。
三囲神社は、ネットで調べてみたけれど、どうも神社の公式HPは無いみたいです。
だけど、三井財閥とのご縁が強い神社とのことで、三井広報委員会の《こちらのサイト》に、詳しい紹介がされています。
三越デパートは、おおもとが三井の越後屋とのことで、今でも三越デパートの屋上には、三囲神社が祭られていることは、星図めぐり乙女座地区の時にレポートしました。
星図めぐりの参加者のおひとりの方のおはなしでは、(実はここにも、不思議なシンクロが働いたのですが、くわしいことが書けないのが、残念です。)三越デパートでは、現在でも、毎月何日と日にちが決まったうえで、会社のトップの方たちが、心をこめて屋上の三囲神社を、参拝しておられるとのこと。
だけどそれを知っているのは、一部の人たちだけだと思いますよ、ということでした。
他に、ネットでは、nikkei BPnetに、江戸の名残を歩く〈三越編〉〜吾妻橋、勝海舟、撫で牛、三囲神社〜というのがあって、三囲神社と三井・三越との関係に触れて、書かれていたりします。
また、いろいろ調べて行くと、三囲神社にある三角鳥居の歴史などに、あつい関心を寄せている人たちも多く、それらのサイトを見ていると、歴史の深さと厚みと神秘に触れたりしました。
なかには、三囲神社で始まり三囲神社で終わる本もあるとのこと。こちらの本は、古代ユダヤと日本の関係を記した小説、とのことです。
失われたミカドの秘紋 加治 将一、著
次の写真は、三囲神社のこまいぬの狐。なんとも愛らしい表情をしています。
あと、お写真には撮らなかったのですが、御手水のお水も、透き通ってきれいでした。
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今回、星図めぐりで行ったあたりには、むかし吉原の遊郭だったという場所も、ありました。
道を歩きながら、このあたりにくわしい方に、教えていただきました。
実際に、もと吉原だったところに、行ったわけではなくて、「この川の先に、もと吉原があったのですよ」と、教えていただいた感じです。
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それで、どうして天秤座地区に、吉原があったのかなぁと、考えてみました。
フォーカスしてよんでみた感じでは、時代的な特質があるみたいで、たとえば江戸時代は、吉原は芸能の街のような感じがしました。
芸能というのは現代にたとえると、お昼に行ったレストランが、元ブロマイド屋さんだったり、北野武が成長したその土台が浅草芸人だったり。という、そういう感じでの、芸能です。
きっと、テレビとか映画とかが無かった時代、吉原は、そういう流行の最先端の、ドキドキする場所だったのではないかなぁと、思いました。
AKB48的な競争みたいのも、そこにはあったことでしょうね。みんなの注目が、集まっていた感じです。
現代では、吉原遊郭と言うと、イコール、性風俗的なイメージだけが先行してしまいますが、どうもそれと芸能が未分化な状態で、存在していたみたいな感じがしました。
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歴史的に、江戸時代よりももっとさかのぼると、「聖」なることと「性」なることが、未分化だった時代も、けっこう長く続いていたような感じです。
そんな長い歴史の上に、今があることを考えると、「吉原」があったことと、「浅草寺」があることは、切り離せない関係性だよなぁ〜と、思いあたりました。
思いあたったのですが、ちょっとそれは浅草寺さんに失礼なことかもしれないと、口に出すことを控えていたのですが。
先日、浅草寺のレポートのなかでも取り上げました、浅草寺貫首の清水谷考尚さんの『生かして生きる』という著書を、アマゾンで取り寄せて読んでみはじめているのですが。
そうしたらさっそく、本の初めのあたりで、実にあっけらかんと、浅草寺と吉原の関係に触れられていまして。
浅草寺・観音さま・浅草は、「聖と世俗が地続きで気取らない」、「信仰と盛り場の両方の顔を持つ」、「大衆信仰」と書かれています。
「民衆」という、人々に対するとらえ方とかは、天秤座だなぁと、つくづく思ったりもしました。
☆
【スカイツリー】
浅草のあたりからは、建物の隙間から、時々スカイツリーが、顔をのぞかせます。
オープン以来たくさんの人が集まっている、新しいパワースポットになっていますね。
それではこのあと、浅草近辺の町並みから見えたスカイツリーの写真をアップして、レポートを終わろうと思います。
おまけで、隅田川の写真も。
次回東京星図めぐりは、11月4日(日)に、蠍座地区に行きます。
くわしいことは、どうぞこちらをご覧ください。
http://plaza.rakuten.co.jp/mokuseiki/
みなさまのご参加をお待ちいたしております。