第69回 東京星図めぐり 皇居一周 レポート。
皇居を一周してみて、そのサインの違いがどのように表れているのか、サーチしてみることにしました。
まず最初は、春分点探しです。
内堀通りに国道246号線が合流している、三宅坂のあたりは、この牡羊座01度の春分点らしい、強力なエネルギーが流れ込んでくるポイントとして見ることができるように思いました。
三宅坂の合流点の写真を撮るのを、なんと(!)、忘れてしまいました。そのかわり(?)、交差点に面したところにたわわに実る枇杷の実のお写真などを撮りました。
次のお写真は、その三宅坂に接している「最高裁判所」の角にある小さな公園です。
三宅坂の合流ポイントを春分点とするとすると、このモニュメントのある公園あたりが魚座30度になります。
そこから見た、皇居は、お堀の向こうにあります。
憲政記念館の横のあたりを通り、この時計塔はたしか、国会前庭洋式公園に立っていたものだと思います。
こちらが、牡牛座地区の官庁街です。東京星図では牡牛座に、太陽・金星・水星・木星・冥王星の5天体が集合しています。
そのなかのひとつ、警視庁の建物です。よくニュース番組で見る建物がこれなのだなぁ〜と思いました。
その隣にあったレンガ造りの建物。法務省旧本館のようです。
警視庁のほうを振り返ると、遠くに国会議事堂が見えました。
このあたりのお堀は、こんな感じです。
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今までに、皇居には何度か足を運んだことはありますが、わたしは実際に、二重橋を見るのは、初めてでした。
二重橋というと、この橋のことと思っていましたが、そうではないということも、今回初めて、わかりました。
こちらの橋は、「石橋」というのだそうです。まずは、石橋のあたりの風景から。
奥に見える白いお城の建物が、伏見櫓です。
石橋の近くまでは行けますが、ふつうは中に入ることはできません。
石橋を渡ったところには、門があって、門の入り口には、衛兵さんが両脇に、おひとりずつ立っています。
衛兵さんの後ろには、小さな衛兵小屋のようなものもあります。ちょっと、おもちゃのマーチに出てくる兵隊さんのような感じがあります。
おそらくこのあたりは、双子座地区の方角です。
さらに内側のお堀に渡されている、こちらの次のお写真の、鉄の橋が、正式な「二重橋」とのことです。
奥ゆかしさと、気品にあふれています。
鉄の橋になる前の、木造の橋だった時の、橋の構造が「二重橋」だったのだとか。
このあたりは、お堀の周りがずっと、おしゃれな金属製の囲いで囲まれています。
こちらの石橋の門が、皇居の正式な門とのことです。
他の場所にはない、独特のゲニオスロキが、感じられます。和洋折衷でありながら奥ゆかしさも感じるような、そんな場所のように思えました。
《追記です。》
一度こちらのブログをアップしてから、気がついたのですが。
この二重橋のあたりは、言葉的に、「二重」ということがいくつも重ねられていることに、気がつきます。
歴史的に、一番最初の由来とされているのが、奥の「鉄橋」がかつて、木造構造だった時の二重構造であったことは、ブログの中にも書きましたが。
それが鉄の橋に建て替えられてからも、手前の石橋の橋の下に、二つのアーチがあるので、「二重橋」と呼ばれているという誤解が、浸透している感じです。
いやいや、そうではありません。橋が二つ、二重にかけられているから、二重橋なのでしょう、と思っておられる方も、多いのだとか。
このしつこいくらいに「二重」が重なっているあたりに、おそらく双子座地区であることのゲニウスロキを見出すことも可能なのかも知れません。
この場合の「双子座」というのは、サインとしての双子座というよりも、星座としての「双子座」の意味合いです。
このあたりから、「双子座」の、「サイン」と「星座」の、失われた結びつきを取り戻す糸口が見つかるかも知れないと、思いました。
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祝田橋から、凱旋濠を撮りました。
この橋は、明治39年(1906)、日露戦争勝利記念の凱旋道路開通の際架けられた、土の橋とのことです。当時の皇居のこちら側の町名が祝田町という町名であったので、この名前が付けられたそうです。
祝田橋は、双子座地区の方角です。
その近くの城壁の跡です。現在でもすこしの狂いもなく、組立っています。
皇居一周というと、マラソンする人が走るルートが有名ですが、それはおよそ5kmとのこと。今回は、おおよそそのルートを歩きましたが、ゆっくり歩いたので、一周するのに2時間弱、かかりました。
皇居の中心から、おおよそ東京国際フォーラムの方向が、蟹座地区になります。
皇居前広場は、蟹座地区の方向から獅子座地区の方向にかけて、広がっています。
次の写真が、坂下門です。こちらも警察官の方は立っておられましたが、石橋のところの正門と違って、実用の門らしく、用事のある人たちの実際の出入りがありました。
こちらは、坂下門から入った先にある、宮内庁内局の建物だと思います。
次の写真が、和田蔵から東京駅の正面を望む方向です。獅子座16度のラインになります。
皇居前広場のこのあたりは、皇居の「表の顔」という感じの場所です。
お堀と地面の高低差もあまりなくて、穏やかに明るく開けた場所で、活気あるエネルギーに満ちています。
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皇居の中心から、パレスホテルの方角が、乙女座地区になります。
皇居内部では、その方角には、皇宮警察があります。宮内庁病院も一部、乙女座地区にふくまれるかもしれません。
次のお写真の、大手門も、乙女座地区に含まれると思います。
そして、おおよそ、天秤座の方角は、次のお写真のあたりです。
皇居の内部では、皇居東御苑の中の、二の丸庭園のあたりが、天秤座地区の方角です。
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それでは、蠍座地区は?とした時に、まっさきに浮かぶのが、平川橋=不浄橋の言い伝えです。
この橋は、ちょうど地下鉄の竹橋駅のあたりにかかっています。
この日も現地で、「ふむふむ、これが平川橋か」と思って見てみたのですが、木製の優美な橋の姿です。だけど、不浄橋の伝説が怖くて、お写真には撮りませんでした(汗。。。)
※現在の橋は昭和63年に改架されたもので、台湾ひのき製とのことです。
それで、そのあと平川橋や平川門についていろいろ調べてみたのですが、徳川の長い時間の中では、さまざまな変化が推測されるようです。
ちょっと調べると、「平川門は、江戸城三丸の正門であり、 死者・罪人を運ぶので不浄門であり、奥女中の通用門であったのでお局御門でもあり、田安・一橋・清水の徳川三卿の登城口でもありました。」ということで、なかなか謎の場所になっています。
そんなことって、ありえない、と思ってさらに調べて行くと、罪人や死人、そして糞尿は、確かにこのあたりから城外に出された記録が残っているらしいのですが、その時には橋は使わずに舟で出した説、もあることがわかりました。
また、平川門の近くに、別の門があり、それが不浄門だったのではないか、という説もありました。
もしほんとうに、三の丸正門・不浄門・お局門・徳川三卿の登城口が、同じ一つの門だったのが事実だとすると、江戸の人々の精神構造に、私はとても関心が出てきますね。
不浄橋と不浄門を「あぁ、きれい」と感じた、私の感性が蠍座的なのかなぁ?と、その日は思いながら歩いていたのですが、この深いポイントには、がぜん興味と関心がわきおこりました。
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今回、皇居一周をした日は、ちょっと今日と同じみたいに、梅雨時に来た台風の影響で、低気圧度の高い一日でした。
晴れの日を良き日とする価値観からすると、なんという日に、ということになってしまうのかも知れませんが、この日は、普段感じることのできない、皇居が持つ、白から黒までのトーンのグラデーションすべてを、体感することができたように思います。
中沢新一さんが『アースダイバー』講談社 2005年の中で、皇居を「象徴の森」と表現されていますが、それを読んで感じられることは、やはり天皇という象徴的存在が存在する皇居の、「ゼロ・ポイント性」かな、と思いました。
その精神としての構造は、河合隼雄さんが述べておられる「中空構造」という、古事記にも描かれている、日本人の特質なのだろうと、思います。
「象徴の森」そして「中空構造のシンボル」としての皇居は、今日のようなお天気の日に一周すると、その低気圧に曇った向うに、まるで映画を見ているみたいに、さまざまな眠っている「土地の記憶」を再現して、見せてくれたように思います。
北の丸にある、東京国立近代美術館。
その向かい側のお堀は、平川濠。このあたりは、江戸城天守閣の背面に近いため、お堀の水と周りの土地の高低差が、どんどんと険しくなって行きます。
北の丸公園の入り口です。
北の丸公園の中にある日本武道館の建物は、東京星図では、射手座15度から19度に対応されると松村先生の『運命を導く 東京星図』には書かれています。(この度数は、最初に0度を使わない数え度数に変換してあります。)
その向かい側、北桔梗門のお写真が、次のものです。
それにしても当然なのだと思いますが、皇居を一周すると、警察官の方たちに、常時、監視されている感じです。
こういう場所はあまり他にはなくて、似たような感じがしたのは、日銀を一周した時。たくさんの監視カメラに、常に監視されていました。
次のお写真が、乾門です。ものすごく警備が厳重でした。どうしてかなと思っていたのですか、地図で確認すると、乾門のあたりは皇居に地続きの場所なのですね。
乾門の反対側、北の丸公園の方向を撮ったのが、次のお写真です。
そして、東京国立近代美術館工芸館の建物です。おおよそこのあたりまでが、射手座地区になります。
このあとが、代官町通です。片側は、えんえんと塀が続きます。
マラソンランナーが走る皇居一周のルートでは、この代官町通が、山羊座地区になります。
代官町通が終わるあたり、パーフェクトに堅牢なお堀の城壁が、道の両脇に姿を現します。
そこを過ぎると、再びお堀が姿を現します。
この代官町通には、独特の息苦しさが、感じられたように思います。それは、言葉に表すとしたら、性急な時代の変化がもたらした断層、のような感じのものです。
ここを通ると、そういった意味での、少し不自然さが、感じられます。
本来の姿として、北の丸も含まれた土地が、少なくとも、全体であるような、そんな感じです。
今回わたしは、塀側の道を歩いたので、それで余計にそう思えたのかも知れません。道の反対側の土手の上が歩けるかどうか、確認はできていないのですが、もし歩けるとしたら、そちら側も歩いてみたいと思いました。
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皇居一周をしている時に、やはりなぜか、お堀が見えると、ホッとします。
水には、ホッとさせる作用があるのですね〜。
このあたりは、お堀の周りは、城壁ではなくて、土手のように、草が生えています。皇居の周囲のお堀は、城壁のところと、土手みたいに草が生えているところの、二種類のパターンがあることがわかりました。
遠くに、雨に煙った国会議事堂が、見えました。
このあたりの道路の向かいは、英国大使館です。広大な敷地です。
このあたりからは、水瓶座地区になります。
英国大使館の向かいのあたりの、お堀のようすです。どこか牧歌的な印象です。
門が見えてきました。半蔵門です。
半蔵門のところで、甲州街道の国道20号線が、内堀通りと交わり、T字路になっています。そのT字路のあたりは、とても水瓶座的です。おそらくこのあたりが、水瓶座30度あたりになると思います。
橋の上は、こんな感じです。一般の人は通行できません。
この橋は、有事の際に、将軍をいち早く甲州方面に逃がすための道として作られたのだとか。
この橋のあたりは、お堀の水までの高低差が、こんな感じに、かなりあります。
そして、魚座地区へ。
国立劇場です。
このあたりの、お堀のようすです。
この建物は、しらべてみたら「白御影石」で作られているとのことですが、私は見るたびに、中学生の時、美術の授業で彫った、発砲コンクリートの塊を、思い出します。なぜかそれに似て、とても軽い石の素材でできているように、感じるのですが、白御影石だとすると、そんなに軽い重量ではないのだと思います。
このあたりの、お堀のようすです。
初めて皇居を一周してみました。
一周してみて、マラソンの人たちは、だいじょうぶなのかな?と思いました。走っているから、だいじょうぶなのかな?
いやいや、走っているからとか、そういうことではなくて、おそらく、やはり、何の目的でその場所を歩くのかによって、感受することは、まったく違ってくるのでしょうね。
星図めぐりで、サイン体験をする目的で、皇居を一周すると、かなり強烈な印象がしました。
それを言葉にすると、いつもはたとえば、「今日は、牡羊座地区」と決めたら、「赤色ワールド体験」だとしますね。
それが、皇居一周でサイン体験となると、一気に、赤色から紫色までの、全色フルカラー体験みたいな感じで、土地が、山盛りフルコースの御料理を提供してくれる感じです。
時間にしたら、ゆっくり歩いて2時間かからないくらいの時間だったのですが、内容はなかなかもりだくさんで、2時間しか過ぎていないのが、不思議なくらいでした。
12本分の時代劇の映画を、一気に見たような、そんな感じがしました。