12星座(サイン)理解の、3つのステップにつきまして。

わたしは、牡羊座です。

とか、自分が何座であるのかを、知っている人は、とてもたくさんいます。

この「自分は何座」という「星占い」は、今、世の中にとても広がっています。

占星術」って、この「星占い」のことでしょう?と、よく言われます。

それは、そうでもあるのですが、違っているところもあるので、まず、その説明から始めてみます。

占星術では、おもに、太陽系の10個の天体を使います。

月・水星・金星・太陽・火星・木星土星天王星海王星・(冥王星)の10個です。

占星術では、このひとつひとつが、わたしの一部をあらわしていると、考えます。

星占いの、「私は○○座です。」というのは、この10個の天体のうちの、太陽が、生まれた時に、どこの星座(サイン)にあったのか、ということを、あらわしています。

占星術では、ほかの9個の天体が、どこの星座(サイン)にあるのかも、とても重視します。

なので、占星術を知ると、「わたしは○○座」というのは、ひとつではなくて、もっとたくさんあることに、気がつきます。

わたしは、10年くらい前から、『東京星図めぐり』というのをやっています。

これは、この12の星座(サイン)のパワースポットを、実際にひとつずつ、歩いてみる、というものです。

東京という街のバースチャート(出生図)を、東京という実際の土地に投影したものを、おおもとに使っています。

現在のお空の(トランシット)の太陽が、その星座(サイン)にある時に、その場所を訪ねるようにしているので、一か月に一か所で、12星座(サイン)全部を回るには、一年間かかります。

そうすると、参加してみたいな、と思われている方から、よく、「自分の星座の時に参加すれば良いのですか?」と、たずねられます。

星座(サイン)を理解するための、入り口は、この自分の星座(サイン)を大切に思うところから、始まると思います。

そして、だんだんと、星占いから占星術に移行して行く中で、自分のサイン(星座)は、ひとつではなかったことに、気がつきます。

たいせつだと思える、自分のサイン(星座)が、増えることは、たのしいことです。

これが、サイン(星座)理解の、第二段階です。

そして、これが、第二段階だとすると、その次に、第三段階があります。

それは、12サイン(星座)、すべてが、自分にとって、大切なものだった、と、気がつく段階です。

この第三段階になると、逆に、「このサイン(星座)は得意、このサイン(星座)は不得意」と決めつけていた、自分の思い込み自体が、自分を制約するものであった、ということに、気が付いて行きます。

あんがいと、誰もが、この知らず知らずのうちの思い込みに、制約されていたりもするものです。

でも、そのことに気がつくことで、それは、変化して行くことができます。

そうなると、12サイン(星座)全部が、とてもたいせつなものと、変化して行きます。

あぁ、このサイン(星座)には、こんな良さもあったのだなぁ〜と、見かたが変わります。

すると、苦手と思い込んでいたタイプの人が、何で苦労しているのかがわかって、共感できるようになったり、いろいろと、実人生上で、変化が起きはじめます。

これはなにか、人生が、豊かになって行くような、実感です。

そして、とてもたのしくて、すてきなプロセスです。

第93回東京星図めぐり 【温泉編】 牡牛座地区

牡牛座地区の温泉としては、今回は戸越銀座温泉さんに行ってみることにしました。戸越銀座温泉さんのサイトは、《こちら》です。

この日はまず、JR山手線の五反田駅に行きます。

五反田駅に行ったのは、なんと、30年ぶりくらい。




五反田駅前のようすです。






JR五反田駅から、東急池上線に乗り換えます。わたしは東急池上線に乗り換えるのは、初めてです。






五反田駅から、ふたつめが、戸越銀座駅です。着きました。




戸越銀座に来たのも、初めてですが、商店街がえんえんと一直線にどこまでも続いているので、ビックリでした。

東京に、他にこのようなところが、あるのかな?と思うくらいの、長さです。

そこに、焼き鳥屋さんが、けっこうたくさんありました。どのお店も、家族づれが、昼吞みをのんびりと楽しんでいました。

あと、思いの外、整体屋さんが、たくさんあって、ビックリでした。数件おきに、整体屋さんがある感じでした。こういう街並みも、めずらしいように思います。




戸越銀座の、東京星図の中での度数は、出来過ぎだよと思われるかもしれませんが、わたしは牡牛座12度のあたりだと思います。

牡牛座12度のサビアンシンボルは、「ウインドウショッピンクをする人々。」

もちろん、商店街はえんえんと続くので、一つの度数の中には、納まりませんが、だいたいそのあたりだと思います。

戸越銀座の商店街は、第二京浜国道一号線を横切って、もっと先にまでどんどんと続いています。





商店街から右手に入り、地元の八幡さま、戸越八幡神社へ参拝しました。







戸越八幡神社の御山緒。







力石。






こまいぬ。




舞台。




舞台の前には、土俵のようなものがありました。




本殿のようすです。




本殿の前のこま犬と、その解説です。






お神輿が納められている蔵。




神社をあとにして、戸越銀座温泉さんへ。


こちらは、けっこう混んだりするみたいなので、早い時間に来られるのがおすすめかも知れません。

陽の湯と月の湯の、ふたつが、男湯・女湯、日替わりで交代になるようです。

陽の湯と月の湯、それぞれに、内側に階段があって、それをあがると、露天になっています。

こちらも、東京の天然温泉の黒湯もあります。

わたしが行った日は、月の湯が女風呂でした。月の湯は、室内風呂が黒湯になっていました。陽の湯はその逆とのことです。

戸越銀座からの帰り道、東急池上線五反田の駅構内で、絶景ポイントを発見しました。



東急池上線のホームの奥、進行方向のところです。下を流れているのは、目黒川です。

東京星図めぐり個人セッションを開催しています。くわしいことは、《どうぞこちら》を、ご覧ください。

第92回東京星図めぐり 【温泉編】 牡羊座地区

その土地が持っているエネルギーにフォーカスする方法は、もちろんその土地を歩くという方法もありますが。

その他にも、その場所で、飲食をする。その場所で、眠る。という方法もあります。そして、もうひとつ、とても有効なのが、その土地の温泉に入る、という方法もあります。

なので、今年度の東京星図めぐりの牡羊座からは、一年間、東京都内の温泉巡りもコースに入れてみることにしました。

それで、第一回目として選んだのが、武蔵小山温泉清水湯さん。清水湯さんの公式HPは《こちら》です。


ここは、銭湯なのだけど、新しくて、ちょっとスパみたいな感じも、取り入れられています。それに何より、東京の天然温泉のひとつです。

この日は、2015年04月15日(水)。ずっとぐずついたお天気が続いていたのが、突然ウソのように晴れた日でした。

JR目黒駅西口も、晴れています。




そこから東急目黒線に乗って、武蔵小山に行きます。




武蔵小山の駅前には、アーケードが延々と、ふたつの方向に続いています。




これが、清水湯さん。

清水湯さんの、東京星図の位置は、牡羊座の終わりと牡牛座の頭の、ちょうど微妙なあたり。

温泉に入ると、おばちゃんたちが明るく爽やかに話しかけてきてくれました。お湯の色は、二種類あるのですが、ひとつはなんと、ピータン色!ビックリです。美肌効果抜群と書いてありました。

別のほうは、黄土色の塩化温泉。両方とも、露天風呂です。とっても贅沢な銭湯です。だけど、入浴料はうれしい、なんと450円。

そこから歩いて、林試の森公園へ。

林試の森公園は、牡羊座の終わりのあたりになります。

そのあと、目黒不動へ。目黒不動林試の森公園は、近くにあります。




目黒不動のこま犬です。







帰りに、山門のところを通ったら、山門の裏側に納められている像が、真っ白なのに驚きました。胡粉が塗られて白いような感じでした。真っ白なものというのは、めずらしいように思います。




目黒不動から、目黒駅方面へ。今回は行きませんでしたが、五百羅漢のあるお寺のほうへ抜ける近道は、緑がとてもきれいでした。




山手通りをずっと歩いて、中目黒まで。中目黒は、私は初めて行ったかも知れません。おしゃれなお店がたくさんあるので、とても楽しい街ですね。




中目黒のあたりの目黒川です。目黒駅近くの目黒川には、良く行ったことありますが、中目黒あたりでは、風情が変わるので、おもしろかったです。牡羊座地区の中では、すこしまったり感があって、住みやすそうな雰囲気ですね。




武蔵小山から中目黒までは、おおよそ2時間の徒歩のコースです。中目黒の駅のあたりは、牡羊座14度くらいになるのではないでしょうか。

このコースは、『運命を導く 東京星図』の本の中にも、お散歩コースとしておすすめの場所として、次のように紹介されています。

「目黒の、とくに大鳥神社目黒不動羅漢寺近辺のラインは、自分の生きる目的をはっきりさせて腹を据えるというのには適した影響力を持っていることになります。」

「散策のコースとしては、牡羊座の落ち込みポイントである半ばから、牡羊座の最後の不動の姿勢決定というところまでの心の変化と成長を促す場所として、目黒川の脇の遊歩道を中目黒から目黒雅叙園のあたりまで歩くのが良いでしょう。川沿いの遊歩道はいつものどかで、また春になると桜がとてもきれいな場所。自分の行く末について決めたい時は、このコースをおすすめします。」

第91回 東京星図めぐり 【魚座地区】高尾山

東京星図めぐり【魚座地区】で、高尾山に行きました。

まず、新宿駅から京王線に乗ります。




新宿からは中央線を使っても高尾には行けますが、わたしはいつも京王線を使っています。運賃も、京王線のほうが、安いです。

ただし、京王線を使って、高尾山に行く時は、注意することが2つあります。

その1)。新宿で京王線に乗る時は、行く先確認が必要です。高尾山口行きの電車に乗ると確実ですが、別の行き先では、別のほうへ行ってしまうことがあります。ちなみに高尾山口は「たかお・やまぐち」では無くて、「たかおさん・ぐち」といいます。

その2)そして、高尾山口行きの電車に乗ると、高尾山口のひとつ前に高尾という駅もあります。間違って、ここで降りてしまわないようにしましょう。




京王線高尾山口のホームにつきました。春らしい、良いお天気でした。




そこから、参道のほうに歩いて行きます。




途中、梅が見ごろでした。




お昼頃だったので、まずは腹ごしらえで、良く行くお蕎麦屋さんに行きました。ここのお店の、自然薯蕎麦は、おいしいです。





昼食を済ませ、小さな橋を渡り。




高尾山に行く、ケーブルカー乗り場へ。




いつもは、ここから上へは行かずに、お蕎麦を食べて帰ることも多いので、知らなかったのですが、ケーブルカーのとなりに、リフトもあったことに、気が付きました。

今日は、リフトを使ってみることにしました。リフト乗り場に行くまで、けっこう階段を登ります。




リフトです。




リフトからのながめです。








終点につきました。




そのあたりからのながめです。








道なりに歩いて、薬王院を目指します。




この樹は、とても有名で、良くテレビとかでも紹介されています。





薬王院の山門が見えてきました。山門を超えると結界に入るので、聖域度がぐっと増します。






ここから道が、二手に分かれます。左に行くと、急な階段を登る男坂。右に行くと、ゆるやかな坂道を登る女坂。




女坂のほうを、登りました。坂のようすです。けっこう、上り坂を歩いて行くのは、普段し慣れていないこともあって、息切れがしました。





男坂と女坂の合流地点です。




合流地点から、薬王院まで。ご神木の杉の樹が生えています。








薬王院の入り口です。




御手水です。




薬王院は、さまざまな建物がありますが、今日は、カンを頼りに、呼ばれる方へ、歩いてみました。









福徳弁財天の立札を見つけ、そちらに行ってみることにしました。すると途中で、餌を食べている二羽の山鳩を見つけました。

弁財天と山鳩のセットは、先月の水瓶座地区の時にもそうだったので、ちょっと不思議です。




こんな建物と建物の間を通り抜けると。




きれいな梅の花が、出迎えてくれました。




福徳弁財天です。





参拝を済ませたあと、そこから、高尾山の山頂を、めざしました。















この、最後の急斜面の坂を上ると、高尾山山頂です。





山頂につきました。










帰り道のようすです。




薬王院の裏手から横のあたりに出ます。




薬王院では、夕方の読経が行われていました。




ご神木の横を通り。




リフトで山を下ります。




リフトを降りて、ケーブルカー乗り場前の広場に咲いていた、梅の樹です。




高尾山山頂のあたりは、東京星図では、おそらく魚座10度から12度のあたりになるのではないかと思われます。東京は西に広がった地形を持っているので、魚座地区に対応する場所は、広大です。

高尾山の頂上まで上ったのは、わたしはこれが二回目だと思います。ケーブルカーやリフトがあるとはいえ、頂上まで行くには、かなりの登り坂を歩きます。やはり、歩くことは、グラウンディング力を強めると思いました。夜もぐっすり眠れます。

高尾山は、都心からも1時間くらいで行ける、自然が豊かな場所です。聖地の山を歩くことは、霊性と身体をつなぐ、昔から続けられてきた、方法のひとつなのだと、再確認することができました。

東京星図めぐり・個人セッションは、2015年4月からも、継続してゆきます。ご希望の方は《どうぞこちら》をご覧ください。

第90回 東京星図めぐり 【水瓶座地区】 武蔵野八幡宮・井の頭公園・弁財天

今回の水瓶座地区は、吉祥寺の武蔵野八幡宮に行ってみることにしました。

仕事ではよく、吉祥寺に行っているのですが、吉祥寺の氏神さまの武蔵野八幡宮には、今まで一度もお参りしてなかったことに気が付き、参拝したいと思いました。


吉祥寺の街の景色です。


やはり、何のためにそこの場所に行くのかで、景色はまったく違った表情を見せてくれるのが、不思議です。

星図めぐりで行くと、わたしも旅人目線になるので、見慣れた街も、まるで初めて来た場所のように、見えます。




駅から、吉祥寺通りを歩いて行くと、右手に大きなお寺が見えてきました。





蓮乗寺というお寺です。




お寺を通り過ぎで、そのまま直進します。




交差点に差し掛かると、武蔵野八幡宮が見えてきました。




鳥居のあたりです。




直進します。




こま犬です。





ご神木の巨木です。





立派な社務所があって、その屋根の上には、しゃちほこがのっていました。





参拝を終えて、本殿を後にします。




武蔵野八幡宮の入り口のそばには、井の頭の弁財天はあちらの石の標識が立っています。





星図めぐりでは、先月と今月と、二回続けて八幡宮をお参りしました。

こちらの、武蔵野八幡宮は、かなり広い範囲にわたって、吉祥寺の氏神さまになっていると思うのですが、やはり公式HPは今のところ無いようです。

それにしても、こちらの武蔵野八幡宮は、今まで行ったことのある神社の中でも、一番くらいに「あっけらかん」とした神社のように思えました。

この神社の表情は、水瓶座というサインの特質を、とても良く表しているようにも思えました。ちょっと不愛想なくらいさばさばとしているように感じられました。このさっぱり感が好き、という方も、きっとおられることでしょう。




こんどは、井の頭公園を目指して、来た道を戻り、駅をこえます。同じ通りですが、駅の向こうは公園通りと言う名前に変わるようです。




公園入口の、おしゃれなレストラン。




公園の地図です。




井の頭池の、湧き水のひとつです。






井の頭池





公園の中のようすです。





弁天堂が見えてきました。




この樹は18番の樹。






弁天堂に少しずつ近づきます。




この樹は19番の樹。






池の噴水。




このあたりの公園のようす。武蔵野の雑木林の面影が残っています。





公園に隣接した大盛寺というお寺の屋根。葵のご紋のようでした。




弁天堂です。




弁天堂のこま犬です。





なんと、うかのみたまの石像がありました。




小島に小さなお堂もありました。




弁天堂に遊びに来ていた山鳩。とてもきれいな鳩でした。何となく、雌の鳩のように思えました。




近くに行っても、逃げなかったのだけど、間近に居る、歩いている鳥を、写真に撮るのは、難しことがわかりました。





池に降りて行く階段。




赤い太鼓橋。




神水と書いてあった湧き水です。






弁財天をあとにしました。




これも、たぶん、こぶしの樹。





井の頭池のボート乗り場。




井の頭池のお写真です。





10代の終わりから20代の始めにかけての頃、「井の頭池におつきあいをしている人と行くと、弁財天は女性なので焼きもちを焼くから、そのカップルは別れることになる」という言い伝えを聴いて、わぁ〜、怖いなぁと思ったことがありました。

そのせいでなのか、井の頭の弁財天をお参りしたのも、たぶんこれが初めてですが、行ってみたら、わたし的には、とても好きな場所のひとつでした。

吉祥寺は東京星図では、水瓶座24度「情熱に背を向け自分の経験により教えている男」の度数の場所とされています。

第89回 東京星図めぐり 【山羊座地区】 穴八幡・大隈講堂・甘泉園公園・水稲荷神社

2015年最初の星図めぐりは、早稲田にある穴八幡に行ってきました。



穴八幡の入り口の鳥居の横には、流鏑馬銅像が。見るからに、武士系の神社のおもむきです。



穴八幡の公式HPは、現時点では、無いとのことです。
ウィキペディアによりますと、次のように、なっています。


「穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、東京都新宿区の市街地に鎮座している神社。蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。旧称は高田八幡宮

社伝によれば、1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。

1636年(寛永13年)ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神とした。

1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになった。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。

歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には1738年(元文3年)に奉納された竹千代(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。

江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名だった。1879年(明治12年)には皇太子(後の大正天皇)の御蟲封祈祷も行っている。

また冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日までであり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る事ができる。」 



穴八幡は、せりあがった高台の上にあります。この日は、たくさんの屋台も出ていました。







山門が見えてきました。



山門の中には、木彫りの武士の像が、対で設置されていました。まるで、おひな様の檀に居る武士のお人形のような風情です。





山門の神社側には、神馬の木彫り像が設置されています。





そのあたりから、本殿を望む。



参道の脇にあった、布袋さま。ふくよかなお姿です。布袋さまは、十牛図第十図に描かれているおじいさんの姿とも言われています。



穴八幡の、ご本殿です。参拝しました。



本殿脇にあった、神武天皇を祀ったお社にあった、こま犬です。



頭の上に宝珠のようなものとかを乗せています。前によく、頭のところに穴の開いたこま犬を、良く見かけましたが、ひょっとしたら、本来、なにかこのような別のつくりのものが、そこに差し込まれていた可能性も高いのではないかと思いました。



ヒイラギの、赤い実です。



穴八幡のすぐ後ろには、お寺があります。放生寺というお寺です。こちらのお寺と穴八幡は、元々は同じものだったとのことで、それが明治時代の始めの神仏分離で、分けられたとのこと。

ひとつのものが、ふたつになると、男性性と女性性的な対比が出やすいのですが、ここも、穴八幡が男性性的要素が表に立っているのに対して、放生寺のほうは、おだやかな女性性にあふれた雰囲気になっていました。

お寺さんの玄関のところにあった水鉢に、少し大きめの鳥が、水を飲みに来ていました。温かさに満ちたおだやかな時間があふれていました。





そのあと、早稲田大学の大隈講堂に。



大隈講堂あたりの風景です。







大隈講堂は、やはりシンボル的存在です。独特のオーラを放っています。



この大隈講堂のある一角から、まっすぐに、江戸川橋東京信用金庫まで伸びているのが、早大通。



そこにあった、カフェに入りました。







山羊座地区は、『運命を導く 東京星図』では、「環境に順応し、キャリアとステイタスを完成させる」場所と書かれています。

運命を導く東京星図

運命を導く東京星図

この本によると、早稲田大学山羊座17度前後にあると書かれています。また、そこに書かれている「キッチンおとぼけ」は、穴八幡の道路隔てた向かい側にあります。



大隈講堂のとなりには、大隈庭園があります。大隈庭園の入り口です。



入り口には、こま犬のように、一対の彫刻が配置されています。台湾から送られたものと書かれているようです。






横から見あげた、大隈講堂です。




大隈庭園のむこうは、リーガロイヤル・ホテルです。大隈庭園は、このホテルの庭のようになっています。



でも、残念ながら、大隈庭園には、今は、入ることができません。



どうしてかというと、4月から12月の、大学の授業がある時だけしか、解放されないのだとか。



大隈会館のあたりの庭は、こんな感じでした。



このあとは、新目白通りを通って、甘泉園公園へ。




甘泉園公園の地図です。




甘泉園公園の案内です。




「へびを見つけても、刺激しないでください。どくはありませんが、かまれることがあります。」




甘泉園公園のようすです。






















池の表面には、一面に氷が張っていて、数人の小学生たちがそれを棒きれで割って、遊んでいました。










陽だまりの枯葉の上で、温まっていた、猫。




このあと、甘泉園公園のお隣にある水稲荷へ。







ここにも、猫がたくさん居るらしいです。




水稲荷神社の御本殿です。




こちらのお稲荷さんの狐は、とても躍動感にあふれています。このような狐のこま犬は初めて見ました。







御手水です。




御本殿の裏手のようすです。




どんぐりと青い実がとってもきれいで、宝物のように輝いていました。




御本殿の裏手の続きです。ここには古墳があったようです。







やはり、こちらのお稲荷さんのキツネのこま犬はすごいです。これだけ立体的な造形把握に優れたものは、初めて見ました。通常は、もっと日本や東洋的なじっとしている感じの、平面的な空間把握でつくられています。







水稲荷神社の、新目白通り側の入り口です。大きな石灯籠が立派です。







近くには、神田川も流れています。ここは両脇が桜の樹で、春先に花が散りかけている時、神田川に花びらが散って、とてもきれいです。

第88回 東京星図めぐり 【射手座地区】 六義園・妙義神社・古河庭園

雨あがりの翌日、とてもお天気の良い日に、射手座地区に行ってきました。

まずは、朝の、駒込駅のお写真から。


デジカメが写真に写ってしまいました(汗。。。)ガラス窓があったので。



最初に向かったのは、六義園です。


六義園は、五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳沢吉保が元禄15年(1702年)に築園した和歌の趣味を基調とする『回遊式築山泉水』の大名庭園です。」と、園で配られているパンフレットには書かれています。


「江戸時代の大名庭園の中でも代表的なもので、明治時代に入って、三菱の創設者である岩崎弥太郎の別邸となりました。」(同上より)


開園面積、87809㎡


六義園では、いつもは開いてない、染井門が解放されていました。染井門は、広大な六義園の中で、一番駒込駅に近いので、ここが開いていると、とても便利です。




東京都内では、紅葉の名所とされていて、この時期夜間のライトアップもされています。


それでは、このあとはしばらく、六義園のようすをお楽しみください。





























































































































































この日のランチは、地元の古くからあるお蕎麦屋さん、「総本家 小松庵」でいただきました。

小松庵さんは、少し前までは、旧来の別の場所にお店がありましたが、今回行ってみたら、この六義園の染井門のところに、お引越しされていることがわかり、ビックリでした。

新しいお店は、まるでフレンチのお店みたいな外観の二階になっていました。お味は変わらす、とてもおいしかったです。「じゃんげ」という、季節限定のめずらしい日本酒もありました。




六義園をあとにして、こんどは古河庭園に向かいます。

その途中で、妙義神社の参道を見つけ、お参りして来ました。









妙義神社の隣には、教会もありました。




これは、歩いている道の途中の、花屋さんの店先のお写真。とてもきれいでした。




道の先に、高い石垣が見えてきました。旧古河庭園です。




旧古河庭園の、正門です。







旧古河庭園とは。「武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の邸宅でしたが、次男が古河家の養子になった時、古河家の所有となりました。(この当時の建物は現存していません。)

現在の洋館と洋風庭園の設計者は、明治から大正にかけて、鹿鳴館ニコライ堂旧岩崎邸庭園洋館などを手がけ、日本の建築界の発展に多大な貢献をした、英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852〜1920年)です。」(入り口で配られているパンフレットより。)

開園面積 30780㎡

























































































































旧古河庭園の洋館に入るには、一周するのに約1時間という洋館見学に申し込むか、喫茶室の利用をするか、どちらかのようです。見学は800円。入園料とは別に支払うとのこと。一日に三回実施されているようでした。

だいぶ以前のことですが、私の好きな立体造形の作家さんが、この洋館で作品展示をしていたことがありました。

六義園旧古河庭園は、「園結び」入場引換券というのが発売されていて、それを使うと50円ですが入園料が安くなります。

でも、六義園旧古河庭園では、運営母体が違うのかも知れなくて、六義園では、売店でビールや日本酒も売られていましたが、旧古河庭園では、アルコールは販売されていませんでした。(ただ、六義園でも、アルコールの販売は、今の紅葉の時期だけなのかも知れないです。)




旧古河庭園をあとにして、再びJR駒込駅へ。

お写真は、朝撮ったのと同じ場所から撮った、夕方の駒込駅です。





今回は、ちょうどトランシットの太陽がこのあたりにある時に、二つの庭園を訪れることになりました。

六義園旧古河庭園は、射手座の初期度数にあります。正確な度数の絞り込みは、なかなか難しいのですが、六義園は射手座の6度から13度あたりにあるかもしれません。

同じ射手座の6度から13度には、小石川後楽園があります。

敷地面積は、旧古河庭園のほうが小さいので、13度までは届かないのですが、旧古河庭園も、この射手座6度あたりからのラインの延長線上にあります。

ほぼ、同じラインの線上に、著名な庭園跡が3つもあるのは、めずらしいのではないでしょうか。

家に帰って、どうしてなのかな?と考えていた時に、ちょうどハヤブサ2号についてのテレビ番組をやっていました。

これから宇宙開発に大切なことは何ですが?というインタビュアーの質問に、開発担当の方は「豊かな想像力です。」と答えられていたのが、印象的でした。

宇宙に行くことも、はるか遠くを目指す射手座の象意のひとつということができるわけですが、その開発には、豊かな想像力が必要だというお話は、この同じラインに3つの庭園跡があるということへの、ひとつのヒントを示しているかも知れません。

当時の所有者であった、国家というスケールでの、政治なり経営なりの、重鎮でもありトップランナーでもある人たちが、さまざまなかじ取りをしてゆく時にも、豊かな発想力は必要なのかも知れないですね。

想像力は創造力につながって行きますものね。

東京星図では、射手座に土星が入ってるので、その豊かな発想力を、政治や経営という現実的な社会性に結び付けるパワーを持っているのかも知れないと思いました。

東京星図でのその土星は、牡羊座海王星ともトラインなので、ましてや、ですね。